さようなら 特急−とき−(97/7/31)

今年の10月のダイヤ改正で35年間愛称として親しまれて来た”とき”の名前が消えてしまいます。今後上越新幹線の越後湯沢−新潟間を走るのは”あさひ”だけとなってしまいます。各駅停車タイプで東京−越後湯沢間のみの列車はすべて”たにがわ”となってしまいます。これは東北新幹線の”なすの”と同様のタイプとなります。
東京−高崎間の通勤電車としての需要の増加と、以前は北陸方面の人が長岡で新幹線に乗り換えて東京まで来ていたのが北越急行ほくほく線の開業でそのほとんどが越後湯沢で上越新幹線に乗り換えるようになった為、越後湯沢−新潟間の需要が極端に減った事も有り、また長野行新幹線(北陸新幹線)の開業に伴い、東京−高崎間に利用者の少ない無駄な列車をあまり走らせたくない事も有るようで、高崎以遠の思い切った減便が行われるようです。また上越新幹線は、東海道新幹線や山陽新幹線のように区間ごとの需要というものがほとんど無く、その大部分が東京・上野−それ以外の駅間での利用客で”とき”のように時間のかかる各駅停車タイプで東京−新潟県内を利用する人は座席の予約状況から見ても明らかに少なかったようです。
こういった事もあって、在来線特急時代以来35年間親しまれて来た”とき”の名前は消えてしまう事になりました。
また、今回のダイヤ改正では他に信越本線の一部区間廃止と”あさま”が長野行新幹線(北陸新幹線)に昇格する為、上野−直江津の在来線特急”あさま”が廃止になってしまいます。
それから、今まで長岡にはすべての新幹線の列車が停車していたのですがそれも、無くなり長岡も普通の途中駅となってしまいます。
今後は新幹線、直江津−長岡−新潟間の在来線特急ともに順次廃止される可能性が高く、不便になる事が予想されます。


とき 変遷年表

昭和37年6月10日
信越本線の長岡−新潟間の電化完成により上野−新潟間(東北本線−高崎線−上越線−信越本線経由)に在来線の電車特急”とき”が1往復運転開始された。この時の所要時間は4時間40分だった。

昭和40年3月25日
”とき”が1日2往復に増便された。

昭和41年10月1日
”とき”が1日3往復となった。

昭和42年10月1日
上越線の全区間複線化が完成し所要時間が短縮された為、1往復が東京乗り入れとなった。

昭和43年10月1日
”季節とき”2往復が上野−新潟間に新設され1日5往復体制となる。

昭和44年10月1日
”季節とき”が定期特急に格上げになる。
”はくたか”が信越本線長野経由から上越線経由となり上野−秋田間に上越線経由の”いなほ”が新設され上越線を通る特急の本数が大幅に増える。

昭和45年10月1日
1往復増便され1日6往復体制となる。

昭和47年3月15日
1往復増便され1日7往復体制となる。

昭和47年10月2日
L特急の制度が始まり”とき”もL特急となる。
この時L特急に指定されたのは”とき””あさま””ひたち””ひばり””さざなみ””つばめ””しおじ””はと””わかしお”の9種類。

昭和47年10月2日
2往復が増便され上野−新潟間の急行”佐渡”が格上げになり1日10往復体制となった。

昭和48年10月1日
2往復が増便され上野−新潟間の急行”臨時佐渡”が格上げになり1日13往復体制となった。

昭和53年10月2日
1往復増便され在来線特急時代最多の1日14往復体制となる。

昭和56年10月1日
”とき”に全国で始めて禁煙車が設けられた。

昭和57年11月15日
上越新幹線(大宮−新潟間)が開業し在来線の特急”とき”は廃止となり新たに超特急”とき”に昇格した。このときの運転本数は1日10往復だった。
”とき”は各駅停車タイプとし通過タイプには”あさひ”と名付けられた。

昭和60年3月14日
東北新幹線の大宮−上野間が開業したため、”とき”も上野まで乗り入れを開始した。

平成3年6月20日
東北新幹線の上野−東京間が開業したため、”とき”も東京まで乗り入れを開始した。

平成6年7月15日
2階建新幹線E1系の”Maxとき”登場。

平成9年10月1日
東北・上越新幹線の超特急”とき”全便廃止。越後湯沢−新潟間は”あさひ”のみの運行となる。


ここに昭和37年設置以来35年あまりになる”とき”の歴史が終わる。新潟県に住む人にとっても、ふるさと越後を後にして東京に出て行った人にとっても、思い入れの深い名称だけに、またいつか在来線の特急でもいいから”とき”の名前が復活する事を願ってやまない。

<うらべ>