ひるねの時間

「トシ」 97/6/10      みなみ てつや

三角や四角、台形などの紙を使っていろんな物の形を作るパズルが有りますが、先日テレビで見たあるシーンで片面が茶色、もう片面が白の同様のパズルで1人の大人と数人の子供が遊んでいました。
まず手始めに大人がすべて茶色い面を表にして風車を作りました。それに習って子供達も茶色い面を表にして山やら船やら花やらを作っていきました。
ところが有る子供が紙を長細くならべその端に一枚だけ四角を白い面を表にして並べました。大人はそれを見て「なんで裏返しのまま並べるの?きっちりと並べなさい。」と、注意しました。ただまっすぐ並べただけでしかも一枚裏返っていて不真面目に感じたのでしょう。そこでその子供は「マッチ。」と言いました。なるほど茶色い部分がマッチの柄で、白い四角がマッチの頭です。
それまで誰も気が付きませんでしたが、この紙は2色表現することが出来るのです。形を表現することにとらわれて色のことは全く気付いてなかったのです。
つまり、子供とは本来こんな風に自由に発想できるものなのです。

例えば、中学や高校の入試問題でよくこんな問題が出ます。「タイショウと読む二字の熟語を4つあげなさい。」
先日も新聞に入試問題が載っていたのでやってみると、対象、対照、対称と3つはすぐに浮かぶのですがあとが出て来ません。そこで小学校5年になる姪っ子にきくとタイショウなら、まだあると言いました。大勝、大正、大将、隊商と、私は一瞬「それは違うよ。」と思いましたが、すぐに気が付きました。確かにそれもタイショウと読む二字の熟語だと。

対象、対照、対称の3つは学校で間違え易いよく似た熟語として習うので、つい固定観念でこれを優先させてしまい、4つ目となるとこれらに関連した物を考えてしまうのです。しかし問題にはそんな条件は一言も書かれていません。「う〜ん!」さすがは小学生。頭が柔軟です。

固定観念とは経験や習慣で身に付いてしまう物なんだろうけど固定観念の多い私はそれだけ歳をとってしまったんだろうか?
よくテレビで「どういう行動をする人は年寄りか?」と言う質問を若い人にぶつけたりして、「立ち上がる時にどっこいしょと言う。」だの、「細かいことをブツブツ言う。」だのと言う答えが帰って来ますが、こういう質問をして、決めてしまおうとする発想自体が、年寄りの証拠かもしれません。要は発想の自由さこそが若いと言う事の一面なのだろうと思います。

そういえば、先日姪っ子に服装を年寄りくさいと言われてしまい、流行に従っているつもりだったのでどういう服装が若い服装なのかと問いただしてしまいました。
こんな質問をするようじゃ私もトシですね。

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