ひるねの時間

「ミドリムシ」98/08/14      みなみ てつや

ミドリムシは、よく動物なのか植物なのかで論争を引き起こします。
しかし私はどっちでもないような気がします。
そもそも単細胞生物を、動物か植物かなんて分類するのはちょっとナンセンスな気がするのですが、いかがなものでしょうか?
細胞の中の構成体のひとつミトコンドリアには、細胞の核とは別に遺伝子が有る事は皆さんもご存知と想いますが、これは、生命誕生の頃、大きな殻、つまり細胞膜を持ち丈夫で海底火山などの熱を利用し活動や繁殖は出来たが、自分で活動の源となる熱を作り出す事が出来なかった生物と、小さいながらも体内で化学反応を起こして、自分で熱を作り出せる生物、つまりミトコンドリアの祖先が、何らかの関係で1つの細胞内に同居しはじめ、お互い長所を生かして、強くて活発に活動できる生物へと進化していった名残ではないか?とする説が有ります。

私は、これと同じように植物の中にある葉緑体も、植物が進化の過程で自らの力で生み出したものではなく、他のある生物との合成によって生まれたものではないかと思うのです。あるいは、その葉緑体を生み出した生物こそがミドリムシだったのかもしれません。

近年、人を死に至らしめる事もある恐怖の細菌として、病原性大腸菌のO−157が騒がれていますが、この大腸菌も一説によると、あるウイルスによって、毒性を他の病原菌から移されたのではないかと言われています。つまり、ある病原菌に侵入し遺伝子をコピーしたウイルスは、その細菌が持つ毒素を造る遺伝情報をコピーし、それを、今度は大腸菌の中で更にコピーしたのではないかと言うのです。
こんな事が実際に起こるのなら、ミドリムシの葉緑素を作る機能を、ウイルスを介して他の生物にコピーする事も可能なはずです。
こうして植物は、熱を発生させるための燃料を自分で生成出来るようになり、狩りのために動き回るという進化をする必要が無くなったのではないでしょうか?
よく、ミドリムシは動物と植物の環に当たる生物だと言われます。それまで、自分で栄養素を造る事が出来ず。窒素化合物や、宇宙に元々存在するアミノ酸などの有機物などの養分のあるところから離れられなかった生物が葉緑体の発明によりより養分の少ない所でも生活できるようになった。つまり、植物は動物から別れて進化したということです。

しかし私はそれは少し違うと思います。
そんな単純だった頃に別れてしまったわりには、動物と植物はあまりにも似通っているからです。
私たち高等な生物と、単細胞生物などの原始的な生物との一番大きな違いは、生殖活動に有ります。
そこで、それぞれの生殖について見てみると、動物と植物の生殖は基本的に同じです。
まず、2種類の性が有って、それぞれ別の性同士が出会って、初めて生殖が成立し発生が起こります。単一の固体中に両方の性を有する生物はいますが、同一の性同士では発生は起こりません。
どちらも、精子と卵子が存在し、精子が1つだけ卵子の中に入って発生が始まります。
また、それぞれのDNAが絡まりあって、子の代に親の特徴を伝えるところも似ています。卵割の様子も似ています。ただ違うのは発生が植物極から起こるのか、動物極から起こるのかの違いぐらいで、さほど違いは有りません。

この生殖から発生へのプロセスは、非常に複雑なメカニズムです。こんな事が、本当に動物と植物がミドリムシの世代で別れたのなら、ある程度進化した後にそれぞれに起こりうるとは考えにくいです。
また、2つの親から特徴を受け継ぎ新たな代を発生させる事は、進化を促進させるなどの面からも、ある種の合理性を持ちます。しかし、2つの性を分ける事にはあまり合理性を感じません。複数の親から特徴を引き継ぎたいのであれば、性を分けない方が出会いのチャンスも多くなるからです。こういった面からも、動物と植物が別れた後から生殖というメカニズムがそれぞれに起こり、たまたま似通ったと考えるよりは、生殖が行われるようになってから動物と植物が別れたと考えた方がいいのではないでしょうか?
そう言えば、原索動物など、下等な動物は、発生の過程から成体になるまで植物とよく似ている気がします。
本当の所はどうなのか・・・ミドリムシに聞いてみようと思ったのですが、どうも彼らは、あまりこういった話には興味が無いようです。

ところで、皆さんはどう思いますか?


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