ひるねの時間

「価値観」 97/9/3      卜部 知典

先日、女子高校生の間で流行しているものをテレビでとりあげていた。まるで全国の女子高校生が同じ格好で同じものを食べ同じブランドの服を着て、都内某所の同じ店に通っているような事を言うのだ。しかし実際に、全国の女子校性が都内某所の店に月に1度は通うなんてことは不可能である。それは東京周辺の一部の女子高校生に限られた事のはずだ。

実際私の出身地の関西でも数年前東京でルーズソックスが流行りはじめた頃、そんなものを履いている人は、ほとんどいなかった。今でもその人の個性として履く人はいても、東京のように猫も杓子もといった感じではない。もちろん冬にはやったあの有名な某ブランドのチェックのマフラーだって某ブランドの下着だって身に付けている人はあまりいなかった。関西には別の流行が有ったし、もともと関西人は流行に流されない人が多い。
また地方においても流行が伝わって来るには1年くらい時差が有る。あまりにも早すぎる流行の変化は、地方には実際の感覚として伝わりにくく、またあまり知られていないと自分だけ流行の最先端にいても、周りからすれば異端児で、気恥ずかしいだけだ。そんな訳でテレビで再三取り上げられてからやっと少しずつ遅れた流行を取り入れはじめたりする。大体テレビ自身も流行自体にはついていけず、かなり遅れて騒ぎ出す。テレビで今女子校生の間で流行っている言葉ですなどと取り上げられるのは、大抵すでに死語である事が多い。しかし実際東京に住んでいない以上、そんな情報源でもそれを頼りにするしかない地方の女子高校生は、どうしても遅れてしまう。こういった事からも東京で流行っているだけの事を、まるで全国一斉に流行しているかのような報道は、明らかに間違っている。
東京を、すべてと考えているのではないだろうか?

昔、偉大な総理大臣が日本列島改造論なるものを打ち出した。それは、当時すでに飽和状態にあって、住宅等を求めるのが困難になっていた東京の近郊に代り、高速道路や新幹線などで東京とその外郭の地方とを結び、それらをあたかも東京の近郊のようにしようとする計画であった。しかし、この事が関東周辺の不必要な地価の高騰を招き、都市部ではそれが異常な値となり、また無条件な政府の土木需要の増加により建設業界の過剰な肥大と建設費の無制限の高騰を招き、また、国家予算を圧迫し、赤字財政と現実にそぐわない税金の上昇を招いた。
しかしこれも地方には地方のよさがあるにもかかわらず、東京のみを価値有るものとして考えた事によるものと言う気がする。

昔は西の大阪、東の東京であった。
大阪は全国で一番始めに人口300万人を突破した大都市であった。もちろん当時の東京市よりも人口は多く江戸時代以来の天下の台所、西の横綱をまもっていた。
しかし今では大阪は横浜にも人口をぬかれ250万人をわってしまった。有る教科書では東京や横浜それ以外の地方都市と表現されるに至った。
大阪だけでない、すべての地方都市はそれぞれに魅力が有るにもかかわらずそれが東京じゃない為にまるで価値が無いかのように扱われている。

政府機関が東京に集中し、マスコミが東京に集中し、それにつられて銀行や情報産業が東京に集中し、さらにそれにつられて 大手企業や大学、芸術家、芸能関係などもみんな東京に吸い寄せられて行ってしまった。その結果、日本中でチャンスの転がっている街は東京だけになってしまった。そうして若い人達もみんな東京に食われてしまった。まるで魂を失ったゾンビの様に。

政府は一極集中を危機といい通勤には時差出勤をという。しかし、地方にいては他社にまけてしまうシステムである以上、東京に集中せざるをえない。そして数々の本来地方に分散していれば不必要なはずの問題を抱えている。政府の言う事は御題目にすぎないのだろうか?
日本は有る程度先進国だ。しかし、こんな効率の悪いシステムを維持する以上、胸を張って先進国とは言えない。

地方にも人は住んでいる。そしてそれぞれには、それぞれなりの価値が有るはずだ。

そろそろ、政府もマスコミも東京だけの価値観ですごすのはやめようではないか。

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