「本当の問題」98/03/01
以前から論議されていた事だが、とうとうNTTの番号案内(104)の大幅値上げが認可された。
いろいろと異論が有るようである。競争がないのをいい事にサービスの改悪である。緊急時に必要なサービスを値上げするのはおかしい。サービスの対価として高すぎる。
しかし、私はあえて反対というわけではない。
私は番号案内をほとんど使った事がない。何人かの知人にも聞いてみたが、個人的な用件で月に1度以上の割合で使う人などいなかった。
考えてみればよく電話をする親類や友人宅の番号をいちいち調べる人は少ない。大抵は記憶している。それに、記憶していなくても、お金をかけてNTTの番号案内を利用するよりは手帳を見たほうが早いだろうし、最近はみんな携帯電話に記憶させていたりもする。
それに、緊急時の利用といっても110か119が主だ。わざわざ事件や事故で所轄の警察署の電話番号を調べたり、火事のときには所轄の消防署、急病人なら最寄りの総合病院に電話するという人は少ないだろうと思う。
普通そういった時は110や119に電話するものだ。110や119を知らずに104だけは利用できるという人は1人もいないのではないだろうか?
そこまで緊急性を要さない程度の事なら電話帳で充分ではないだろうか?わざわざ有料の番号案内に頼らなくても用は足りる。たまたま電話帳のないところから緊急に110や119では事欠く用件というのはそうはない様に思う。その程度の頻度なら少々高くても缶コーヒーよりも安いのだ、苦にはならない。
NTTは、民営化されたとはいえ公共性の高い企業だ。もちろん104も公共のサービスといっていいだろう。
皆さんは公共のサービスの費用がどこから出てくるか考えた事が有るだろうか?
たとえば国や地方自治体というのも本来公共のサービスである。
政治というのは、多くの多種多様な人々の利益を守るためにその舵取りを行う事である。税金とはその舵取りを行うための資金、つまりは国民全体の生活協同組合の会費のようなものである。それだけに受けるサービスの種類によって公平に徴収されなければならないし、その使い道も平等でならなければならない。国民全体が過剰なサービスを求めれば税金も高くなるし、その逆なら安くなる。本来そういう性質のものなのだ。
したがって、過剰なサービスの要求たる利益誘導というものが国家予算を肥大化させ官庁の既得権を大きなものにしているのだ。
たとえば、高速道路や新幹線、第3セクター方式の鉄道、ダムや農業設備など本当に必要なのだろうかという所にもどんどんと建設されている。それは地方の政治力による無計画な利益誘導以外の何者でもない。まるでかつての国鉄のように。
今、新潟県の上越地方でも長野行新幹線(北陸新幹線)延長運動が盛んだ。その甲斐有って平成9年度内に長野−飯山−新上越間の着工が決まった。いずれは事業主となるだろうJR東日本の反対をよそにである。
しかしこの地域には昨年長年の念願であったこの地域と上越新幹線の越後湯沢駅とを結ぶ第三セクター線の北越急行(ほくほく線)が開通したばかりである。この路線は沿線人口が少なく、沿線内の利用よりは、主に富山県や石川県、それに新潟県の上越地方といった北陸方面と越後湯沢駅から新幹線を介して東京とを結ぶバイパス線としての利用が多い。そのため北陸方面からほくほく線経由で越後湯沢まで行く特急による収入が北越急行の経営を支えているといっても過言ではない。
しかしである。もしも北陸新幹線が上越まで延長されれば、北越急行のライバルとなってしまう。当然軍配は短時間で東京に行ける北陸新幹線に上がるだろう。JRも不要となるほくほく線経由の特急は、極端な減便もしくは廃止をするだろう。
そうなれば北越急行は経営危機に陥るだろう。ここで考えていただきたい。新幹線を延長する資金もその多くは税金なら、第三セクターである北越急行のほくほく線を建設した資金も多くは県や市町村に納められた税金であったはずだ。
なぜここで税金を二重に使い、なぜJRが採算が取れる見込みがないという路線を無理をして建設する必要が有るのだろうか?建設されたところでいずれは国民の負担に跳ね返ってくるだけだろう。それに、北陸新幹線が上越まで延長されれば、当然平行する信越本線の長野−高田間や飯山線全線は廃止されるだろう。しかしこういった路線がないと困る人も大勢いるはずだ。こんなリスクばかりの事をなぜしたがるのか?本当に上越地区の住民はそんな事を求めているのだろうか?
新幹線の駅が出来ればその地域の格が上がる。そうすればその時にその地域で選出されていた政治家は国会議員も市町村長も箔がつくだろうし名前も残るだろう。そういった事のためだけに進められているような気がしてならない。こういった事は国による過剰なサービスを求めているとしか言いようがない。
NTTの番号案内も仕事などで側に電話帳が有るにもかかわらず頻繁に使っている人をよく見かける。会社の費用だから気にならないのかもしれない。しかし、NTTは番号案内業務は大きな赤字だといっている。その赤字は当然長距離通話や市内通話などその他の料金に上乗せされているのだ。つまり、一部の人の不精のためにすべての国民が高い料金を払わされているのだ。今回の番号案内の料金の引き上げも、将来的にはこの業務だけで独立採算が取れるようにするための一段階に過ぎない。NTTの番号案内はこの御時世としてはまだ安価なサービスだと思う。しかし、不精な人が不精を辞めない限りNTTの負担は減らず、いずれは本当に一般のサービス並みに高い料金になってしまい本当に必要としている人には利用しづらいものになってしまうだろう。
長距離通話だけでなく市内通話にもライバル会社の現れた今、利用者一人一人が気をつければ、NTTが長年赤字だといって値下げに踏み切らない市内通話の料金だって下がるかもしれない。
しかし、それには公共事業に対する利用者一人一人の考え方が重要だ。公共だからといってなんでも過剰なサービスを求めるのはどうかと思う。何が必要なサービスで何がそうでないか利用者が考えていくべきだ。その上で本当に必要なサービスが充実されるかどうかが重要なのである。
番号案内サービスが値上げになった後、はたして長距離通話や市内通話の料金が下がるかどうかそれが本当の問題であるはずだ。