「威信」98/05/17
警察は本来国民の生活の安全を守るためのものであって、悪い人を捕まえるためのものではない。
しかし日本の警察は、法律に触れる人を探し出し、場合によっては悪い人をつくりだしている気がする。たとえば道路交通行政において、一旦停止をしているにもかかわらず停止線を守らなかったり、走行中のシートベルトの着用義務違反など、それ以外においては、たとえば猥褻図画販売など誰の迷惑にもならないのにおせっかいな取り締まりが多い。こういった事も、昔から有る御上意識の現われだと思う。気に入らない奴は取り締まる。そんな感じがする。
例えば、ねずみ取りと呼ばれるものが有るが、交通安全のための取り締まりと称してノルマ達成のためにせっせと反則切符を切るそうだ。だいたい、反則切符を切るノルマが有る事自体おかしな話しだ。海外では、事故を起こさない限り、飲酒も速度違反も取り締まりの対象にはならない国も多いと聞く。もちろん、住宅街の中の生活道路を、無謀な速度で走行するような人は取り締まるべきだと思う。しかし幹線道路や、まして本来歩行者の通行できない高速自動車国道などの自動車専用の道路にまで制限速度が有り、それをっせっせと取り締まるなど、やはり、わざと犯罪者を増やしていると思われても仕方がない。
そんな事をやる暇が有るのなら、覚醒剤や麻薬の常習者を、凶悪犯罪を犯す前に捕まえるべきだ。そっちの方がよっぽど国民の生活の安全を守るために役に立つ。そうではないだろうか?
それに、そもそも猥褻と言う言葉が法律に登場した時、その言葉の意味すら良く分からなかった。いや、今でも良く分からない。法律が有るから取り締まる。そんな感じだ。その為担当者の考え方次第で、取り締まりの対象になったりならなかったりする。
たしかに青少年には有害なのかもしれない、しかし、成人には問題ないはずである。欧米で実施されているように利用者の年齢に応じて分けた方がいいと思う。
そこまで規制するのなら、野放しになっている暴力シーンや残虐シーン、それに、偏った思想的なものも青少年には有害だ。それに子供が見れる雑誌やTV番組に、子供にとっては猥褻であるといえそうなシーンが平気で垂れ流されている。こういった物も問題なはずである。
警察はシートベルト着用義務を法制化するように運動するぐらいなら、こういった問題点も顕在化するよう努力する必要が有るのではないだろうか?その方がずっと犯罪の防止にも役に立つ。
それに、教育的配慮が必要な未成年に対してならまだしも、何の害にもならない大人に対しても規制が有るというのは、検閲行為以外の何者でもない。
法治国家である以上、法律と言うのは守らなければならない。
しかし守る必要性を到底感じえない法律は考え直す必要が有ると思う。御上意識のあまり規制をかけすぎだ。そう思う。
先日、警視庁が、余りにも多すぎる道路標識を削減する事を決めた。
規制する事ばかりにとらわれ、安全かつスムーズにな交通体系を築くための道路標識である事を忘れて増やしすぎていたようだ。その結果、よく、テレビ番組や雑誌で取り上げられるような、多すぎたり、相反していて、どれを守ったらいいのか解らない道路標識や、道路標識にしたがっていたら車が立ち往生してしまう。などという妙なものまで出来てしまった。
最近では、交通事故の原因として、おかしな交通規制や、おかしな信号、おかしな道路のつくりなどが裁判でも取り上げられるようになった。
すでに、一般市民の間では、警察は御上でなくなってきているのだ。
警察が威信を守るためには、こういった意味のない規制を、一般市民に指摘されるよりも前に自らなくして行く事が大事なはずだ。