ひるねの時間

「誉め言葉」98/10/26      卜部 知典

私はときどき人から変わり者だといわれる。
中には悪意を持って言う人もいるのだろう。でも私にとって、変わり者という言葉ほどの誉め言葉はない。
あのエジソンだって、アインシュタインだって、ピカソだってダリだってみんな変わり者だと言われた。中にはコペルニクスのようにそれがあだとなって命を落とした人までいる。しかし、みんな後の世に名を残す偉人ばかりだ。

日本人は、ことさら目立つ人を嫌う。「出る杭は打たれる。」「雉も鳴かずば撃たれまい。」など、ことわざや格言にもそういった類のものが多くある。
確かに江戸時代などの封建社会に於いてはそうだったのかもしれない。
目立てば、上のものから目をつけられ悪い場合は命を落としかねないし、良くても、周りのものからねたまれ結局破滅の道へと進んでしまう。だからだろう、横並びを好み、上のものに嫌われない様にする。
「長いものにはまかれろ。」とまでいう。いまだに社会において、例えば政治家を先生などと呼び、会社の上司には公私の区別無く尽くす。
しかし、これらのことわざが概ね正しい事とし通用したのは、まだ、一部の人たちが権力を独占していた時代の事で、全ての価値観がその一部の人たちによって決められていた時代の話だ。今のようにこれだけ多くの価値観が生まれてきた時代には当てはまらない。
アメリカはベンチャービジネスの国だ。と、よくいわれる。今の生活やこれからの社会に無くてはならないものやシステムの多くは、アメリカで生れたものだ。日本で独創的に開発されたもののなんと少ない事か。アメリカでは、人と違う才能や意見が比較的尊重されやすい。人と違っている事がその人の才能なのだ。そういった変わった発想を育てる環境があるからこそ、ベンチャービジネスが盛んなのだろう。そういう風に見ると、日本においても、独創的な発想をする人は、周りから見ればちょっと変わった人が多い。この人が本当に発明家や大学の教授なの?と目を疑いたくなるほどある意味奇異な人もいる。こういった変わっている人を、変わっているからといって、日本風に社会から抹殺していては、何も新しいものは生まれ得ない。新しい価値観の発展においてこそ、新しいものが生れるのだと思う。

ましてや、昨今の政治不信や経済危機といったものは、新しい価値観というものの必要性を更に高めている。経済においても、政治システムにおいても、すでに破綻の危機に瀕している。いや危機に瀕しているというのはもう1年以上前の状態を言うのだろう。少なくとも政治システムに関してはすでに至る所で機能していないものや中には時代に逆行しているものまであるし、経済においても騙し騙し来ているが、本当はすでに崩壊しているといってもいい様子だ。
つまり1分1秒を争うほどの事態なのだ。首相をはじめ政府は英断を持って次々と問題を解決していかなくてはならない。そこには大改革や粛正なども含まれるだろう。それこそ、あちらこちらから命を狙われるほどの事をしなくてはならない。しかし、そのことが今の総理大臣や政府には解っているのだろうか?
私には細かい問題や複雑な政策は解らないが、過去の世界の歴史から見ても、これほどの緊急事態を乗り切るにはそれほどの覚悟が必要だと思う。

ところで、今の総理大臣は、「人柄の・・」などといわれている。多くの人を取りまとめ、上手に意見を調整し、一つ一つ。問題をクリアしていく。いわえる調整能力があると言う事だ。平時ならそれでもいいのだろう。
しかし、今現在、総理大臣にとって「人柄の良い」といわれる事が、はたして誉め言葉なのだろうか?


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