ひるねの時間

「守ろう自由なインターネット」99/02/14      みなみ てつや

今回は珍しく御題をいただいたので、辛口でせめようと思います。

ホームページの実名掲載の義務化をしようという動きが有るようです。
実名掲載によって、しっぽを押さえておき、犯罪を抑制しようという物らしいのですが、これはちょっとどうかと思います。
パソ通の時代から、ハンドルネームといったような物を使うのが常識になっている世界で、実名表示の義務化はちょっと馴染まない気がします。

パソ通やインターネットの世界では、お互いに会う事も無く住所や年齢や職業や国籍など場合によっては性別までも解らないままの付き合いが成立しています。
これは、この世界に馴染みの無い人にとっては、奇異な事のように感じられるかもしれません。でも、この事によって現実の社会では、個人を取り巻くあらゆる状況から生れる先入観や偏見をこの世界においては一切感じないで付き合う事が出来るのです。

例えば、ある状況において数人の人が特定の共同作業をしなければいけないとします。1人は50代の男性、1人は高校生ぐらいの女性、1人は20歳そこそこの男性、そしてもう1人は小学5年生の男性だったとします。通常この場合、当然の事ながら50代の男性がリーダーとなるでしょう。小学生は邪魔物扱いされて作業に参加できないかもしれません。女子高生だって外見によっては仲間にしてもらえないかもしれません。これは、相手が子供だったり、大人に対して反抗的であろう年齢だったりするからです。つまり、先入観によって一種の差別をしているわけです。
しかし、パソ通やインターネットの世界では、姿が見えない分そういった先入観を生む要素はあまり有りません。
ですから、小学生がリーダーになったり、女子高生がリーダーになったり、大の大人がその指示に従ったりする事も良くある世界なのです。
この世界では、社会的に地位のある人が、自分の子供よりも年下の小学生に悩みを相談していたりする事も有りうるのです。
大人だから、地位が有るから立派だ。子供だから、無名だから未熟だ。という事は一概には言えないものなのです。

こういった世界ですから、知人には相談できないような悩みを相談できたり、普段会う事も出来ないような、大学の教授や、有名な作家の方々とも意見を交換できたりするのです。
このような事も、素性の分からないもの同士が付き合える世界だからこそ成り立っているのです。
ハンドルネームなどの仮名も、その為の環境を整える為の一つの要素なのです。

例えば有名人がホームページをつくるとして、実名表示が義務となれば、本人のキャラクターに合わないような内容のものとか、もしくは、一般の人のように自分の趣味のページを作ろうとしても、有名である事がじゃまをして、思うように作れなかったりするでしょう。また、その人がアイドルだった場合には、メールがまともな意見交換には使えずに、山のようなファンレターに占領されてしまったりする事となるでしょう。それでは、自由さと公平さが失われてしまいます。
社会的に地位のある人が、実はアニメおたくだったとします。でも、こういった事は、あまり一般的には受け入れてもらえません。でも、やっぱりせっかく苦労して集めた資料はみんなに見せたい。こういった時にもハンドルネームは役に立ちます。
また、学校ではいじめられっ子だったり、あるいは社会的に失敗した人など、実社会においては、意見や考え方を表現したり、自分自身の存在をアピールする事が困難な人も、実名でない架空の自分を作り出す事によってのみ、自分を表現する事が出来る人も少なくはないのです。
また、そうでなかったとしても、変身願望とも似た事なのですが、実名でない架空の自分の活躍が生きがいだという人も多いと思います。
少なくとも、実名表示の義務化は、こういった人たちを傷つける事は間違い有りません。

価値観の多様化する現代において、個人の価値観をストレートに表現する事は、難しい事なのかもしれません。ハンドルネームなどの仮名は、そういった状況に対する一種の緩衝材のようなものと理解する事は出来ないでしょうか?

バレンタインデーの夜、チョコレートも食べずにパソコンに向かっている私も、こういった世界を壊されたくない者の一人です。

あまり辛口にならなかったかもしれませんが、皆さんはどう思いますか?

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