ひるねの時間

「日本は本当にアジアなのだろうか?」99/08/08      卜部 知典

予てよりの疑問だ。
日本は本当にアジアの国なのだろうか?
日本だけではない。中国を初めとする、東洋やインドシナの国々は本当にアジアなのだろうか?
アジアとは、もともとトルコや、中東の国々を指す言葉だった。それがいつのまにかその先にあるインドなども指すようになり、中国を中心とした東洋もそう呼ばれるようになった。
ヨーロッパから見て、トルコなどのアジアの先っぽのほうについている地方。と言うことなのだろう。
ヨーロッパは、多種多様な国があるとはいえ、大方似通った文化の上に成り立っている。
かつての、ローマ帝国に端を発した文化が広がることによって、ヨーロッパ全体の文化の根源となるものは、その多くが同じ物だった。もちろんそれぞれの国に固有の文化が無いわけではない。しかし、イタリア語、フランス語、スペイン語などの類似性や、ロシア語も含めたスラブ語属、かつて、ドイツ語の流れをくみながら、支配関係からフランス語の単語の影響を強く受けて生まれた英語、など、いくつかのグループに分かれながらも、文法の類似性など言語は基本部分で似通っている。
それ以外にも、基本的に宗教はキリスト教であること、それぞれの国の王室が互いに婚姻関係にあったこと、人種的にも近いことなど、1つの地域としてまとまりが感じられる。
しかし、アジアは、つい最近までその東の端と西の端ではお互いの存在すらよく知らなかった。
もちろん、お互いの交流は、あまり無いし、言語も宗教も人種も違う地域だった。
トルコや中東付近が、アジアと呼ばれるようになった頃は、ヨーロッパ人の、1つの文化圏内における区分けにすぎ無かった。それより先のインドや中国はどうでもよかった。
アフリカ大陸の砂漠より北の地域、地中海沿いの国々ををアフリカと呼び、それより南については、特に考えていなかったのと同じように。

アジアの文化は、黄河文明、メソポタミア文明、インダス文明の3つの大きな文明に端を発している。メソポタミア文明は、ヨーロッパの文明の基礎ともなっているが、中国やインドに対しては、基本的には影響していない。
中国で生まれた漢字は東洋においては文化の基礎を成すもので、韓国や日本、かつてはタイやベトナムにも広がっていたが、インドや中東ではまったく使われていない。また、インドはインドで他の二地域とはまったく違う文化を持っている。
人種にしても宗教にしても言語にしても歴史にしても、多少のかかわりは有るものの、それぞれに大きな独自性をもっている。
こんな様々な地域を、一まとめにしてアジアと呼ぶことに私は抵抗感が有る。
たとえば、同じ地域と言うのなら、湾岸戦争のときに、身内のこととして関心を寄せた人がどれだけいただろうか?派手なニュース映像に興味を示した人は居ても、同じアジアの国が攻撃されていることに関して、反米感情を抱いた人はいただろうか?
かく言う私も、あまり、我が事のようには感じることが出来なかった。中東と言うと、どうしてもアジアと言うよりはヨーロッパの一部のような感じがしてしまう。
もちろんこの地域が嫌いなわけではない。
ただ、あまりにも遠いところと、ヨーロッパ的な視点から、ひとまとめにされていることが疑問なのだ。
人口と言う面から見ても、11億を越える中国や10億に近いインドなどをはじめ、人口が一億人を超える国だけでも、インドネシア、日本、パキスタン、バングラディッシュなどたくさん有り、世界で上位の国々が集まっていて、全世界の半分ほどがこのアジアに住んでいる。
それなのに国際的な場では一派からげてしか見てもらえない。
そんな所為なのだろう。ワールドカップの出場枠もこの広大なアジア全体で2つしかない。
もちろん、アジアの国々が弱いことも原因なのだろうが、国際大会としては、かなりの不公平さを感じる。

小アジアと呼ばれるトルコ、アジアとはもともとこの地域を指していた。
その向こうに有るあまりにも大きなオマケの地域は、いまだに世界の辺境でしかないのだろうか?

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