ひるねの時間

「顔の無い民俗」99/08/24      卜部 知典

国旗国歌法が施行された。
日の丸を国歌、君が代を国旗と、あらためて言われるとなんだか違和感が有る。
なぜなら子供の頃より、そう信じていたからだ。
国旗や国歌を法律で定めていない国は多い。しかし、政府がこれほど強引に法制化を進めたのには、やはり教育現場での混乱が大きな原因ではないかと思われる。
単に、日の丸や君が代を国旗国歌としたいのならば、何も法制化しなくてもそのままにしておけばよかった筈だからである。
国旗や国歌といったナショナリズムを象徴するものに対しては、かつての戦争をイメージする人も多く、それに関して論議を起こせば反対派の声も大きくなる。わざわざそんな寝た子を起こすような真似はしたくないはずだからだ。

しかし、教育現場での混乱はわれわれの想像を、はるかに超えるものが有る。
それは主に卒業式などの大きな行事で表面化し、大人たちの政治的な主義主張に純真な子供達が巻き込まれていき、それぞれの生まれた国を愛し誇りに思う気持ちを踏みにじり、連帯感の無い、主義主張の無い人間を造る一因となっている気がする。
その混乱の結果、とうとう、有能な教育者の自殺と言う悲劇まで生んでしまった。
これ以上、悲劇を繰り返さない為には、法制化も止む無しと言う事なのかもしれない。
しかし、これには多くの反対意見もある。戦時中、これらの国旗国歌を戦意高揚の道具として使い、多くの命を戦場に散らせた辛い経験があるからだろう。

とはいえ、日の丸君が代に反対する人達も、それぞれに自分達の主張する、日の丸や君が代に代わる国旗や国歌があるわけではない。
少なくとも、一国の将来を担うかもしれない政党や、聖職たる教育者の団体が、自分達の意見を持たずに現存する国にとって重要なものに反対するのは、かなり無責任過ぎないだろうか?それではただのNOマンにしか見えない。
それに、日の丸君が代を外したとして何があるのだろうか?

あるTV番組で、キャスターの人が、国旗を桜にすればいいといっていた。なるほど日本を象徴する良いシンボルだ。しかし桜とて戦争とは無縁ではない。かつて、若くして悲しい最後を遂げていった神風特攻隊をはじめ、同期の桜など、戦場に華々しく散っていく姿を、桜の、ひとときに華々しく咲き、すぐに散って行く姿にななぞらえたりもした。
それだけではない、当時、考えうる日本を象徴するありとあらゆるものが、戦意高揚のために担ぎ出され、血塗られたものとなってしまった。

日の丸という印は、聖徳太子の「日出ずる国の天子・・・」に端を発するもので、わが国の国号を“日本”とするのと同じ起源のものである。
また、君が代も“君”と言う言葉が、通常天皇を表す言葉であることから、“君が代=天皇の国家”と言うイメージにつながりかねないが、君と言う言葉は、主を指す言葉でもあり、大名などをはじめ、一家の家長、祝言をあげる二人のような祝いの席の主役といった人にまで使われた。

日の丸も君が代も何も大日本帝国と同時に生まれてきたものではない。それ以前から自然発生的に選ばれてきたものだ。
日本の国名も、日本、日ノ本、和国、大和、瑞穂の国、芙蓉の国、などいろんな呼び方がある中で、日本の長い歴史と文化の中、自然に“日本”が残った。国旗や国家も同じような経緯があって選ばれてきた。
日の丸や君が代を否定するのは、何か日本人の文化や誇りを捨て去るような気がしてならない。
日本人は、臭いものにふたをし、目立たないように心がけるあまり、自己主張をしないいわば“顔の無い民俗”だ。
しかしそれは、あらゆる責任や義務からの逃避と言う側面をも含んでいる。

日の丸や君が代がもし戦争のイメージを含んでいると感じるのであれば、利己的な主義や好みの問題で否定するのではなく、他国への戦争責任のシンボルとして、また同じ過ちを繰り返さない為の記憶として、これらを後世に伝えることも大事なのではないだろうか?
いかに、惨めであろうと、いかに、目を背けたかろうと、我々日本人の歴史であることに変わりは無いのだから。

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