ひるねの時間

「神奈川県警」99/09/26      卜部 知典

先日来、マスコミを騒がせている神奈川県警の相次ぐ不祥事。
その、犯罪の多彩さには、驚かされる。
暴行、脅迫、強制猥褻、犯人隠匿、・・・・細かいものまであげると、限りが無い。
もはや、殺人以外はなんでもやっているような、そんな印象を受ける。
そんななか、トップの解任と言う事態にまで及んでしまった。その最大の原因は、相次ぐ不祥事ではなく、それを隠そうとしたことだろう。
大きな組織ともなれば、そのなかには、不祥事を起こすものも出てくるだろう。トップが幾ら優れた人でも、不祥事を完璧に防ぐことは、不可能だろう。
だから、組織のトップは、こういった人を、更正させたり、場合によっては排除したりすることが、重要な職務の一つなはずである。
まして、警察といえば聖職である。組織の末端に至るまで、自らを律する必要の有る職である。一般市民と違って、国民の安全や、法と秩序を守る為、その職務において特別な権利を与えられた人達である。
悪用すれば強い力を発するその権力を、それゆえ、常に正義に基づいて、行使しなければならない。
しかし、今回の一連の不祥事は、その権力によって、保護されたなかで繰り返されたものだった。
不祥事が発覚しはじめたころ、神奈川県警の幹部が記者会見で、「今回のことで、士気が下がることは無いと思います。」という旨の発言をした。
私は、このとき、警察組織と、一般人との間には、大きな視点のズレが、あるように感じた。 みんなが問題としているのは、士気がどうの。と言うことではない。
なぜなら、警察全体の雰囲気が、たるんだからと言って、犯罪に及ぶはずは無いからだ。
それとも、警察は普段から犯罪まがいのことをしているが、士気が高いので、問題にならないか、またはその一歩手前で抑えているとでもいうのだろうか?
警察が今回の一連の不祥事で、失ったものは、威信と信頼である。
士気という言葉を持ち出した背景には、「警察は何をやっても正しい。」という驕りのようなものが感じられる。

今回、組織として犯罪を隠したことは、神奈川県警全体が、犯罪組織になったということである。
表現は悪いかもしれないが、ドロボーがドロボーを取り締まっていても、本当にちゃんと取り締まっているかどうか、信用できない。
それに、罪を犯したところで、それをドロボーたちにとがめられて、納得がいくだろうか?
もはや、神奈川県下では、どんな犯罪を犯しても、誰も堂々と取り締まれるだけの、威信の有る者はいないかのような印象すら受ける。

県民の安全を守るべき警察に、威信が無くなってしまえば、困るのは県民だ。

今、神奈川県警がなすべき事は、威信の回復に他ならない。
しかしそれを、士気高揚と勘違いしているとすれば、神奈川県民の将来は暗いものとなるかもしれない。

今ごろ、毎日引き締めの為の、意味のわからない訓示や、特訓をしているのだろうか? そんなことよりも大事なのは、警察官が何故聖職といわれるのか。国民の安全や法と秩序を守ることがどれだけ大切なのか。一般の国民は、警察にどれだけの期待を寄せているかなど、そういった基本のことを、教育するほうが大切なのではないだろうか?

多くのまじめに職務を遂行する警察官の方々がいらっしゃるなか、ほんの一握りの起こした不祥事を、県警全体の汚名にまでしてしまった、幹部の責任は重い。

それ以外の、神奈川県警に勤める多くの正義感強く、勇気に満ちた警察官の方々の為にも、一日も早く、威信を回復されることを祈る。

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