ひるねの時間

「500円硬貨」99/12/05      卜部 知典

初めてお目にかかったのは、中学2年生のときだったと思う。
それまで、お札だったものが急に硬貨になったのだから、驚きと共にさみしさも有った。
500円硬貨が、この世に現れてから、もう17年が経つ。
発行当初は、ものめずらしさも手伝って、みんなが手元に置いてしまったため、半年くらいは流通していなかったように記憶している。
このころ、自動販売機などでも、500円を越える高額な商品が取り扱われるようになり、そういった時代背景もあって登場したものだったが、紙幣から硬貨への切り替えは、「お金の価値が下がる。」など、反対意見も多かった。
当時、まだ小学校低学年だった私の妹は、1ヶ月のお小遣いが500円だったが、それまでお札でもらっていた物が、これを境に小銭になってしまったのだから、ちょっとかわいそうな気がした。

高度成長期には、頻繁に新紙幣や新硬貨が発行されていたが、その後経済の安定期に入ると、それも少なくなってきた。
1984年の1,000円札、5,000円札、10,000円札の3種類同時変更以来、新たなものは発行されていない。
だが、近年の経済の停滞に刺激を与える為か、来年のミレニアム事業の1つとして、また、沖縄サミット開催を記念して、新たに2000円札を発行することが決まった。実現すれば16年ぶりのことだ。
しかし、来年はそれだけに留まりそうにない。
先日、政府は500円硬貨の、廃止を含めた見なおしを行なうと発表したからだ。

ここ数年、ニュースなどで頻繁に耳にする偽造500円硬貨の問題に対応する為のものだ。
これまでは、自動販売機などの機械側の対応で何とかしようとしていたが、それではもうどうにもならないという事のようだ。 そもそも、500円硬貨のような、高額な硬貨を発行している国は世界でも珍しい。
例えば、私達の一番馴染みのある外国であるアメリカでは、1ドル硬貨が最高額だ。1ドルと言えば日本円にすれば、100円ちょっと、その1ドル硬貨でさえもあまり流通はしていない。1ドルと言えば、1ドル札のほうが遥かに一般的だ。
世界の国の中には、成人の1ヶ月の収入が1,000円未満と言う国は、まだまだ多い。
そう言う観点から言えば、500円と言う大金は、他国の硬貨をドリルで削って改造するくらいの苦労をしてでも、手に入れる価値が有るのだろう。
ましてそれが、自動販売機と言う魔法の道具を使えば、アシもつかず、人目にもつかずにホンモノに化けてくれるのだから有りがたい。

かつて、日本が記念の10万円金貨を造ったときも、実際の金の量は、額面に見合うほどの量を使っていなかったため、鋳造費を計算に入れても、大した原価をかけずに偽造できる為、偽造すれば偽造するだけ儲かるし、紙幣と違って、鋳造の設備さえあれば誰にでも簡単に作れるので、実際の発行枚数よりも多い数の偽造10万円硬貨が造られてしまったそうで、信頼性が薄れ、結局10万円硬貨は通貨としての意味を成さなくなってしまった。

まだ、10万円硬貨は記念硬貨だから良いようなものだが、500円硬貨のように実際に流通しているものの信頼性は、保っていく必要がある。
先日、高速道路で夜中に自動販売機を利用しようとした時のこと、すべての自動販売機に張り紙をしてあるのが目に入った。「この自動販売機で500円硬貨は使えません。」そう書かれていた。
缶ジュースならまだ良い。タバコやビール、軽食の自動販売機などは、100円硬貨や10円硬貨だけでは足りない確率が高い。 こんなとき、500円硬貨が使えないのはとても不便だ。
それに、自動販売機時代に対応して造られた500円硬貨なのにこれでは意味が無い。

日本人にはかつて、お上に対し絶対服従の態度を示すという風習があった。その為、政府は法律さえつくれば、後は放って置いても国民を管理することが出来た。
そういった体質からだろうか、法律も抜け穴が多いし、罰則も甘い。
しかし民主化も進み、さらに国際化も果した現在、そういった従来の風習に拠る価値観は無くなりつつある。
通貨偽造も、法律で禁止するだけでは何の意味も無い。それよりも、偽造できない、もしくは偽造に大きなリスクが伴う。そういった対策が必要なのだろう。

昔、5,000円札を大量に偽造し逮捕された人がいた。一見よく出来ているように見えるが、肌触りはぜんぜん違うそうで、色も微妙に違う。そんな粗悪な偽造品を作るのにも、報道によると、5,000円札1枚作るのに、10,000円以上の原価がかかったそうだ。
今は偽造技術も進んでもう少しマシにはなったかもしれないが、しかし偽造を防止する技術もかなり進化した。
透かしや微妙なグラデーションの線描など、昔からの技術に加え、一般では手に入らない特殊な紙、金属を含む特殊インク、特殊な光に反応する蛍光インク、マイクロ文字など複数の技術を取り入れることにより、偽造を困難なものにしている。
まして、紙幣の偽造にかかる原価は、額面に係わらず一定な筈なので、額面が低ければ低いほど、偽造に対するリスクも大きく、そのため偽造されにくい。
そういった理由もあって、500円を紙幣に切り替えようという考え方も強くなってきているようだ。

時代の流れによって登場した500円硬貨だが、それが、時代の流れによって元に戻されるのは皮肉なことだ。

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