ひるねの時間

「ゆとり」99/12/30      卜部 知典

小学校の授業から社会と理科がなくなり生活科が出来て何年になるだろうか?

もうすでに10年以上前から、その兆候はあった。
ゆとりの教育の名のもと、小学校や中学校などの義務教育から、その間に習得する項目が次々と削られて行った。

それまでは、詰込み教育と言われ、何軒も塾通いをする子が増え、受験地獄とさえ言われ多くの自殺者も出した。

その状況に危機を感じた当時の政府は、臨教審など、政府に審議会を設け状況の打開を試みた。
その結果、学校で習う内容を徐々に減らす方向へと進むようになったと記憶している。
当時は、そうすることにより、落ちこぼれが減るとされた。

しかし、受験地獄となったのは、良い大学に入り一流企業に就職することのみがすべてであると言う当時の価値観によるところが多かった。
つまり、ゴールが限られている為、自然とコースも限定されていたのだ。
だから、義務教育の負担を軽くするだけでは、なんの解決にもならない。
これでは、途中のコースは平坦で歩きやすいものになったものの、ゴール直前に、大きな崖が有るようなものだ。

欧米では、大学だけがすべてではない。
大学に行く以外にも色々と成功する為の道は有る。
大学に行くのも、将来の夢がありその為に必要な知識や資格や技術を習得する為に行くのであって、ただなんでも良いから行くのではない。
日本のように法学部を出て商社に勤めたり、経済学部を出て、飲食店で働いたりしている人は少ない。
多くの場合、学歴をつけるためだけに大学へ行く人も多いように思う。

日本人は、欧米人に比べ組織に帰属し楽に安定したいという気持ちが強い。
その為だろう、大企業に入ることを最大の成功と考える人が多かった。
その為には一流の大学に入らなければならない。
そして、受験戦争が生まれ、それは地獄へと成長して行った。

しかし、そのゴールの部分を変えていない以上、学校で何も教えなくなった分、大学への進学を希望するからは、当然良い塾や家庭教師が必要となり、かつての受験地獄が、さらに激化することになった。
また、家庭の経済的な理由から、有名塾や家庭教師を利用することが出来ず、落ちこぼれるという新たな悲劇も生んだ。
かつてのように、学校の授業だけでも、そこそこの大学に入れるということはなくなった。
このことは、結果として完全な落ちこぼれをつくってしまうこととなり、高校の中退率の急増を促した。
結局受験戦争は、行きつくところまで来てしまったそんな気さえする。

だが、何も悪いことばかりでもない。
そう行った中退者の中から、学歴に頼らずに自分の夢に向かう人達が出てきたからだ。
路上でライブをやったり、パフォーマンスをしたり、一人旅をして写真や文章を売り物にしたり、専門学校に行き、美容師や、服飾デザイナーや、調理師になったり、その他誰も考え付かなかったような珍商売を始める若者も増えてきた。
受験戦争というレールから外れたときに、本当の夢を見つけることが出来たのだろう。

結果として、落ちこぼれた果てに本当のゆとりが生まれつつあるのだろう。
このことは、政府にとっても皮肉なことだ。

もしも、“ゆとりの教育”という方針を打ち出したとき、そこまで考えていたのなら、凄い事なのだが・・・

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