「有事法制」02/04/25
一概に、有事法制反対とは言わない。
国民の生命と財産を守るのが国家の最も基本的な役目であり、その為には軍事力の必要性は避けて通れないからだ。
その過程において、国民の権利や財産が一部制限される事も場合によっては有り得るだろう。
しかし、それは、あくまでも国民の利益を守る事が主体であって、国民の権利や尊厳を奪うものであってはならない。
先ほど論議をよんだ有事法制は、結局何を有事とするのか?、有事には国は何をしてくれるのか?、誰が軍隊を制御するのか?と言った肝心の事は盛り込まれていない。今国民が最も関心を寄せる不審船や、国際テロについては先送りされてしまった。
国民の利益は何も無い。
あるのは、有事には国家は特別な体制になると言うことだけだ。
ゆえに、政府は特別な権限を得て、国民は権利や財産をも提供しなければならないということのようだ。その延長線上には、生命の提供も求められるのかもしれない。・・・「有事だから。」と。
第二時世界大戦においては、治安維持法をはじめとする数多くの悪法によって、国民の権利は大きく制限されてしまった。
その上での、計画性無き戦争行為と、国土を焼き尽くされての敗戦。
第二時世界大戦は、明らかに国民の生命と財産を守る戦争ではなかった。
当時の情報や言論の規制は、愚策を顕在化させないための愚策だった。
今まさに、同じ過ちを繰り返そうとしている。
盗聴法で、安息と自由を奪い。
メディア規制関連各法で情報を奪い。
有事法制で権利と財産を奪う。
なぜ、国民をこんなにも押さえ込まなければならないのだろうか?
何の段取りか?
さては、また愚策を行うつもりなのだろうか?
最後に、こんな悪法が次々と出てくるのは、野党の責任でも有る。
護憲などと、つまらない事を言う人たちにも責任は有る。
戦争は放棄したとはいえ、相手が攻めてくれば応戦せざるを得ない。
そのとき国民の世論は、不審船騒ぎの例からも判るように、一気に戦争肯定へと傾くだろう。
そうなってからでは歯止めが効かない。
そういった意味では、憲法9条は有名無実だ。護憲は、反戦の適切な手段ではない。
どうすべきか?
暴走を防ぐ為には、予測のつく事は手をうっておくべきだ。
軍隊は認めるが、徴兵、私財没収、言論抑制、情報操作などを禁止すると言った事を明言して置く必要が有る。
また、侵略を禁じ、アメリカのように、たとえ軍隊に籍を置いていても、本人が人道に反すると判断すれば出役に応じない権利なども保証すべきだ。
戦時に、やむを得ず国民の私財を没収したなら、これを保証する制度も確立しておかなくてはならない。
たとえ有事になり、時の政府が戦争だ!報復だ!などと騒いでも、枠の範囲内で納まるようにしておかなければならない。