ひるねの時間

「邪悪」02/12/25      卜部 知典

相撲は日本の国技という。
これには異論もあるだろうがそれはともかく、
国技と言うからには、日本国民なら老若男女すべてが楽しめなくてはならない。
男女を問わずだ。

だからであろう、横綱審議会にも、女性が参加している。
にもかかわらず、審議委員の中には、女性委員の存在を否定し、または女性委員を、女性である事を理由に侮蔑する人がいるようで、不愉快だ。
角界の頂点であり、誰からも尊敬されるべき横綱が1年以上も休場しているのだから事態の打開をはかるべきである。
しかし日本人横綱が他にいないせいか、なぜか、とがめようともしない。
最近、若い力士たちが、ちょっとした怪我でもすぐに休場し、多くの力士が抜けた状態になり、場所自体がしらけてしまう事が多いが、横綱の休場が続きそれを認める以上、それらをとがめる事も出来ない。
「なさけない。」
ならば、横綱を呼んでせめて事情を伺おうというのは、まったくの正論である。
なのに、これを否定し、人格までも侮辱する発言を同じ横綱審議委員がした事に対しては、憤りを感じるし、これをだれもとがめない今の角界も腐っているような気がする。

「横綱の綱は神社のしめ縄と同じ。」かつてそう発言した曙関は、海外出身とは言え、はるかに相撲の事を理解していた様に思う。
神である横綱は、神のごとく振舞わなければならない。
怪我をしても、つらい事があっても土俵に立ち、勝ち続けなければならない。
常にすべての人の範となり、国民の希望でなければならない。
それが出来なくなったときは引退すべきである。

横綱審議委員は、いわば神を決める神聖な組織ということになる。
神聖であるには、常にフェアで清廉潔白な性格が要求される。
その神聖な組織に、金の力で、野球も、サッカーも、国技でさえも私物化しようとする邪悪な人は似合わない。
そう思う。

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