ひるねの時間

「弁護士」02/12/24      卜部 知典

ヨーロッパの近代史において、最もすばらしい変化をとげたものに、裁判制度がある。

それまでは、必ずしも公平とは言えない裁判が横行していた。
権力者や、資産家がいつも優位であり、弱者は常に弱者であった。
その後、その反動か、民意を扇動したものが勝者となる時代が来る。
確たる証拠もなく、資産家や権力者、外見や素行によって、妬みや先入観で裁判は進み、被告となる事は常に敗北を覚悟しなければならなかった。
こうして、長い間裁判は公正さを欠き、多くの冤罪を生みつづけた。

その反省から、裁判は、極力客観的に行えるように改良が加えられた。
法は、公平さを保つ為に明文化され、証拠も客観的証拠が重要視されるようになった。
被告を追及するのも、被害者や捜査員とは関係の無い、事件にあまり感情を抱かないだろう第三者たる検事が行う。
被告人も、本人になりかわり法律に詳しく被告人の権利を擁護できる弁護士によってまもられる。
このように、第三者同士が戦う事によりさらに、客観的に裁判を進めるシステムになっている。
しかし、この弁護士制度には、時折疑問を感じる。

弁護士は、もともと、法律に詳しくなく、なんの権力も無く、または、社会に受け入れられにくい人が、先入観や力関係だけで、無実の罪を負わされたり、些細な犯罪に対して不当に重い罰を与えられたりする事を防ぐ為の制度である。
決して、犯罪者に利益をもたらしたり、罪を隠蔽するものであってはならない。
しかし、近代裁判において、この弁護士制度は、うまく機能しない事がしばしばある。

和歌山の砒素カレー事件の一審判決は、多くの国民の予想するものとなった。
しかし、法的にはかなり無理があり、この先二審・三審において、同様に判決が出る可能性はそう高くない。
その後の犯罪に対しても、大きな影響を残した凶悪な犯罪であり、日本の治安を守る上でも、この裁判は非常に重要なものであったはずなのに、林被告に完全黙秘をさせた弁護士はいったい何を考えていたのだろうか?

今の時代、完全黙秘でなければ、人権が守られないといったケースは考えにくい。
むしろ完全黙秘は、裁判において、被告の口からボロが出るのを恐れた為の戦術と思えてしかたがない。
林被告が、犯人であるにしろ無いにしろ、事実関係を明らかにするのが司法に携わる人間の絶対的な義務である。
まして、これだけ史上類を見ないほどの凶悪な犯行であればなおさらだ。
それを、隠し通そうとするとは、何たることか。
弁護士の評価は裁判戦績だけではないはずだ。
弁護士制度は、被告人の権利を守るものであって、不当に刑を軽くする為のものではないのだから。

被害者の人生・人権・人格は、擁護されなくても良いと言うものでは有るまい。

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