太陽と情熱の国スペイン紀行

 平成12年の秋、“新潟教弘友の会”の海外研修旅行に初めて参加しました。「 アルハンブラ宮殿とスペイン世界遺産めぐり7日間」です。
 バルセロナ、 グラナダ、 マドリッド と、それぞれが誇る世界遺産と美術館をめぐる感動の7日間でした。正に太陽と情熱の国を実感する旅でした。
 ここでは、その感動の旅の中から、 バルセロナのシンボル・ガウディの傑作 グラナダ王国・アルハンブラ宮殿 中世城塞都市・トレド にスポットを当てて紹介したいと思います。
  【旅行日;  ’00.10.24〜30


バルセロナ  BARCELONA

 地中海に面した港町・バルセロナは、カタルーニャの首都。カタルーニャ地方は長い間、独立国家として独自の言語、文化を保持してきました。伝統を大切にする一方、斬新で独創的なものを取り入れる自由な精神ももち、個性豊かな芸術家たちを生み出す土壌となってきました。
 ミロピカソ、そしてガウディがそうであるように…。
 1992年のバルセロナ・オリンピックで世界中に注目されて依頼、1年を通じて観光客で賑わっているそうです。アントニオ・ガウディモデルニスモ建築とともに、「ピカソ美術館」「ミロ美術館」「カタルーニャ美術館」等、見どころいっぱいです。

【モンジュイック】
バルセロナ・オリンピックの会場にもなったモンジュイックは、高さ173mの
小高い丘です。緑豊かな閑静なエリアで、美術館や博物館も点在します。
写真はモンジュイックの丘から見下ろしたバルセロナ市街です。
中央やや左寄りにかすかに「サグラダ・ファミリア」が見えます。


【サグラダ・ファミリア】
 「サグラダ・ファミリア」とは、「聖家族」の意味。
 1882年、ビリャールが計画に着手し、翌年、ガウディが2代目の建築家に就任したのが31歳の時、爾来、不遇の死を遂げるまでの後半生をこの聖堂建築に捧げました。
 ガウディの構想によると、「誕生の門」「受難の門」「栄光の門」の3つのファサード(正門)をもち、各門はそれぞれ4本の塔で構成され、その内側にはイエス、マリア、福音家を象徴する18本の塔が建てられることになる。現在は誕生受難の2つの門と8本の塔が完成しているのみ。完成は、100年後とも200年後とも…。
 余りの遠大な構想と、天を突く偉容に圧倒される思いでした。

【グエル公園】
 世界遺産・グエル公園は、バルセロナを代表する新興ブルジュワ、グエルと組んだガウディ最初の都市開発プロジェクトで、15万uの土地に60戸の分譲住宅を建設する予定であったとか。が、住宅地が売れずに失敗。
 しかし、美しい公園が残され、ギリシャをイメージした神殿風のホールやモザイクを使ったオブジェ、ベンチなど、ガウディモチーフがいっぱい、今は市民の憩いの場として愛されているとのこと。この日も、大勢の観光客に交じって、小学生の一団が賑やかに遊んでいました。
 写真は、ヤシの木に似せて造った支柱です。



アンダルシア  ANDALUCIA

 「ピレネーを越えるとそこはアフリカだった」といわれるそうですが、スペインは文化、伝統、芸術において確かにアラブ色が強い。とりわけ、このアンダルシアは、かつてイスラム帝国に支配され、今なお至るところにアラブの香りが残っており、その感を強くします。
 明るい太陽、赤茶けた大地、オリーブ畑と白い家。正に太陽溢れる大地です。
 今日スペインを代表する文化や芸術は、このアンダルシア地方が発祥地となっているものが多数あります。フラメンコしかり、闘牛しかり。灼熱の大地が生んだ情熱の文化。このアンダルシアのイメージは、正にスペインという国に抱く私たちのイメージそのものなのかもしれません。

【アルハンブラ宮殿】
イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル王朝の約250年間、歴代のイスラム王によって
造営されてきたイスラム建築の傑作。アルハンブラとは“赤い城”の意味で、
城が建っているサビーカス丘陵の赤土に由来するとのこと。
特に、13〜14世紀に造られた「王宮」は、美麗を極めたイスラム建築の最高傑作
といわれる。行政の間、行事や儀式の間、王と家族の住居(ハーレム)に分かれています。

写真は、ヘネラリフェ庭園から世界遺産・アルハンブラ宮殿を望んだもの。


【ライオンの中庭】
 宮殿の内部。
 ライオンの中庭を含むライオンの宮殿は、王の居住空間で、王と近親者以外の男性は立ち入ることが許されないハーレムになっていました。
 124本の大理石の柱と回廊で囲まれた中庭は、中央に名前の由来となったライオンの泉があります。イスラム教では偶像は禁止されていましたが、10世紀ごろから徐々に見られるようになり、ライオンの泉もその一例だとのことです。
 中央に12頭のライオンの像は、水時計だったともいわれているとのこと。

【ヘネラリフェ庭園】
 世界遺産・ヘネラリフェ庭園ヘネラリフェとは、アラビア語で、「すべてを見尽くす者の楽園」という意味だそうです。
 1319年、ナスル朝5代王イスマイル1世によって建てられた離宮と、それを取り巻く庭園から成っています。王族の夏の離宮であったとのこと。
 特に写真のアセキアの中庭が有名。アセキアとは堀割を意味し、細長い水路に幾筋もの噴水がアーチを描き、周辺の草や花に彩られながら涼味を醸していました。こんなところに水がとびっくりしましたが、ネバダの雪解け水を配し、高低差を巧みに利用した造営は、それほどの権力を誇示するねらいもあったのでしょう。



トレド  TOLEDO

 マドリードの南約70kmにあるトレドは、イスラム文化西洋文化が交差する古都です。
 6世紀に西ゴート王国首都となってから、大きな発展を遂げました。かつて、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教がともに暮らしていたことから、街にはそれぞれの文化が融合し、独特の雰囲気があります。1561年に遷都されてから、政治、文化の中心はマドリードに移りましたが、スペイン・カトリックの中心は今でもトレドカテドラルにあります。
 旧市街では、そのカテドラルをはじめ、要塞・アルカーサルサント・トメ教会エル・グレコの家などの建物や貴重な美術作品を楽しむことができます。

【世界遺産・トレド旧市街】
三方をタホ川に囲まれた旧市街は、約2km半の小さな岩山の上にあります。写真の右側に建つ
荘厳なカテドラルをはじめ、中世の建築美を見せる眺望は、
正に世界遺産にふさわしく、見事な一幅の芸術作品です。
さすがはエル・グレコが、創作意欲を駆り立て、愛してやまなかった街です。

時間が経つのも忘れ、いつまでも中世へタイムスリップしたような街並みに見入っていました。


【タホ川とサン・マルティン橋】
 13世紀に建てられたが、14世紀と18世紀に修復が行われてきたとのこと。
 5つのアーチから成っており、特に中央のアーチが当時最も美しいものの一つであったとのことです。
 写真の左側、つまり、トレド市の外側に面した門は、頑丈に造られ要塞化されていましたが、内側の門は、何回かの修復で軍事的、防衛的な特徴が次第に失われてきたようです。流れる川は、トレド市街を三方から囲むタホ川
 橋の眺めも、橋からの眺めも、正に中世そのものでした。

【サント・トメ教会】
 14世紀にオルガス伯爵が再建した寺院。
 エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」が展示されていることで有名。
 上下2段構成で、下段は、聖アウグスティヌスと聖ステファヌスが降臨して伯爵を埋葬している場面。上段は天国で、伯爵の魂がキリストとマリアに捧げられている場面です。
 グレコは、ギリシャのクレタ島に生まれ、ヴェネツィアで学んだ後、1577年トレドに移住、亡くなるまでの40年間を過ごしました。市内には、その家が残っていて、アトリエや書斎などが公開されているとのことです。



マドリード MADRIDにて

  
 情熱の踊りフラメンコを愉しむ         プラド美術館にてスペイン芸術を

  
 スペイン広場でドン・キホーテ像と        皆さんと宮殿にて(無断掲載をお許しください)



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